インターネットの記事と本の違い

インターネットの記事と本という媒体の違いはなんでしょうか。
値段とか、ビジネスとかは置いておいて、あくまで情報の受け手が感じる目線のお話です。

先日、へんな会社の作り方の記事を書いた後に、他人の感想が気になりいろいろなサイトを回っていたのですが、その中でCNETの記事で十分だ。と言っている人が何人かいたのが気になりました。

確かに、「へんな会社」のつくり方はもともとCNETで連載していた記事をまとめたもので、加筆されている部分は少ししかないので、実はCNETを読めばあの本を買わなくても概要はわかるのではと思います。

でも、僕はインターネットの記事と、本ってまったく違うものだと思っています。

読み方も違うし、読んでいて感じる事も違う。

インターネットの記事って短時間で読めるようなものがほとんどだし、わざざわ連載中の記事をまとめて読んでいるような人って少ないのではないでしょうか?

でも逆に、本はまとめて読むために作られてる。(自分で読むペースを作ることはできますが。)


もう、これは全く僕個人の感覚なのですが、
本を一定量、連続して読んでいると、湧き上がってくる感情だったり、文章の向こうに感じる作者の想いだったり、文字の勢いだとか、作者の呼吸だったり、登場人物の心だったり、を感じることがあります。

本の海に潜る感覚って僕は自分で表現しているのですが、本に潜る(ダイブ)することで、いろいろな事が頭の中に浮かんで踊りだします。

そうして感じたことを、ブログに記していたりします。

そのダイブできるまでに要する情報量の多さは作品によって変わるし、そうして僕が本にダイブした後に感じる感覚と、一般の人が感じる感想が実は同じであったりすることもあるのかもしれませんけど(:p


ってここまで書いて、そういえば誰かも似たような事言っていたなぁと思い出したのが、作家の宮部みゆきさんの言葉。

宮部みゆきさんが週刊大極宮で、京極夏彦氏の京極道シリーズの分冊について、分冊されると本を読むリズムだったり、物量から感じる雰囲気の違いだったり、ストーリーの勢いの違いについて語っているのを思い出しました。

要するに、文書の形が違えば、それはまったく違う本なんだと。

インターネットの記事と本という媒体はやっぱり違うものなんだ、と改めて思います。
ということで、僕は「へんな会社」の作り方を買ってよかったと思いますよ。


大極宮からの文書の転載は禁止なようなので、宮部さんの詳しい表現が気になる方はこちらからどうぞ。
http://www.osawa-office.co.jp/
週刊大極宮 第212号 2005.7.15  安寿のがまぐち 〜 宮部みゆきのコーナーより